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筋力弱くたどたどしく何もわかってない

青い鳥とロケットマン

 フィギュアスケートファンになり損ねた明確な瞬間というのが、自分の中にはある。1998年の長野オリンピック、15歳のタラ・リピンスキーが三回転三回転の高難度コンビネーションを立て続けに決めて、全米チャンピオンだったミシェル・クワンの前から金メダルをかっさらっていった瞬間だ。当時の自分はクワンの大ファンだったから、しばらく猛烈に落ち込んだ。クワンの凛とした雰囲気とか、豊かな表現力とか、シンプルで美しい衣装(後にヴェラ・ウォンだと知った)を着こなすセンスが大好きだったのだ。対するリピンスキーは、まだまだ洗練されないジャンプだけの人、という風に当時の自分には見えてしまっていた。そして、金メダリストとなった途端に、もうアマチュアでいる必要はないとばかりに彼女が引退を表明したこともショックに輪をかけた。

 タラちゃんにはタラちゃんの愛する家族や人生があって、それは当然の選択だったのだと今では思える。(現在のリピンスキーはジョニー・ウィアーと組んだ解説の仕事が人気らしい。)でも、当時の自分にSNSという手段があったなら、推しとは全然違うライバル選手の生き様を消化しきれずに、ネガティブなことを書き込んでしまっていただろう。気軽にネットが使えない時代で良かった。そして、クワンはやっぱり素晴らしいと思う気持ちと、何度見返しても覆らない結果との間で消耗し切った当時の自分は、選手の人間性に惚れ込みすぎるのはもう止めようと心に決めた。自分はのめり込みすぎると危ないタイプだとなんとなく悟ったのだ。その後もクワンの事は応援し続けている(赤ちゃん誕生おめでとう)けれど、アマチュアスポーツとしてのフィギュアスケートに関しては、のめり込まないよう意識して距離を取ってきたところがある。

 

Fields of Gold

Fields of Gold

  • エヴァ・キャシディ
  • シンガーソングライター
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

 そんなこんなでスケーターに恋をしないように20年以上自分を戒めてきた訳だけど、今期は一転、出来るだけ試合を追っている。それはやはりユーリオンアイスと出会ったからだ。ユーリの製作者たちのフィギュアスケートに対する生半可ではない知識と情熱に気づかされる度に、今までちゃんと観戦してこなかった事に対して後悔を感じる。反面、観戦を再開したのが今で良かったとも思う。心が狭い自分が、全ての選手を新鮮な気持ちでリスペクトして観られるのは、間違いなくユーリを知ったおかげだからだ。

 そんな娘の二十数年来の葛藤とは全く関係なく、母はマイペースに冬の楽しみとして、フィギュアスケートのファンを続けてきた人だ。そして、元々はヨーロッパの女子選手の演技が好みで、日本の男子選手には全く興味が無かった母が、ちょっとよろめいたのが高橋大輔であり、完全に心を奪われたのが羽生結弦であったのは、距離を置いて見ていてもよく分かった。今年の正月こそは母とフィギュアスケートで盛り上がって羽生くんの話を色々聞かせてもらおう、と帰省を楽しみにしていたのだが、その矢先に、父が亡くなってしまった。

 この年末年始は、死の翼が頭上を掠めていったかのように、ごく短い間に多くの訃報が重なった。テレビの中の信じられない死まであった。結局お正月は、父の遺品整理をしながら、疲れたら母お勧めの羽生くんの映像を二人で眺めて、そしてまたあちこち片付ける、という日々になった。美しいスケートにも片付けにも、セラピー効果がある。短い時間だったが、慰められたと思う。

 羽生結弦の演技の中で、母が一番癒やされると語っていたのが、平昌のエキシビションのノッテ・ステラータだ。サン=サーンスの『白鳥』にイタリア語のボーカルをのせたこの曲は、タチアナ・タラソワから託されたものだという。この時は強い痛み止めを服用しながらの演技だったそうなので、観ていて「癒される」と感じるのは、その影響もあるのかも知れない。謝肉祭の最後に生と死の狭間を優雅に舞う白鳥のプログラムは、王者として冬の祭典の最後を締めくくるために用意されていたかのようだった。タラソワのリクエストとなれば、バレエ『瀕死の白鳥』のイメージも重なっているのだろう。さらに歌われているのは永遠の愛を誓う切ないラブソングだ。これは常に生と死の間をたゆたいながら、一瞬を永遠と歌い続ける白鳥の絶歌なのだろう。死を手前にした白鳥は、常に最も強く、最も美しい。

 

Notte stellata (The Swan)

Notte stellata (The Swan)

  • Il Volo
  • ポップ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

 クリスマスシーズンの全日本選手権で披露された新SP『序曲とロンド・カプリチオーソ』の衣装は青かった。羽生歴がほぼない自分は、この曲には『Origin』のような濃い色を想像していたので少し意外だった。『天と地と』の青と被ってしまうように思えたが、ファンにとっては予想通りだったのだろうか。所々金の羽根が散るこの青には深いこだわりがあるのだろうと考えているうちに、これは自分が常に一番高く遠くを飛んでいるのだという強烈な自負の色なのだと思えてきた。フィギュアスケーターたちの群れを率いて飛び続ける彼の姿は、もうほぼ空の青に染まっていて、そこには、太陽に近づきすぎて金色に変わってしまった羽根も混ざっている。それでも群れが目指す金色の丸いものを、彼は他の誰にも譲る気はない。そういう強烈な自負を抱いて羽生結弦は飛び続けていて、4A挑戦もその延長線上にある。難度の割に基礎点の低い4Aには、リスクの方が高いという考えもあるが、彼にとって、それは飛び続けるために必要な挑戦なのだ。そんな風に自分には思えた。

 平昌を締めくくった『Notte Stellata』の衣装の襟ぐりは、前も後ろも大きく開いている。それは、伝説となった青年が白鳥に化身する瞬間のようでもあるし、白鳥に変えられていた青年が、祭りの終わりにただの人へと戻ろうとする姿にも見える。平昌の時点ではそれがどちらなのか決まっていなかったのだろうが、白鳥は群れを牽引して飛び続け、空中とも水中とも見分けがつかないような青に染まって帰ってきた。今や彼が背負っているものはとてつもなく巨大だ。フィギュアスケーターたちだけではなく、恐らくは競技のあり方だとか、スケート連盟のどうこうだとか、ファンダムのあれこれまで何一つ見捨てることなく全てを引き受けて、彼は北京を飛ぶつもりなのではないだろうか。そして、それをモチベーションに変えることが出来る、大変稀有な人なのだ。

 

序奏とロンド・カプリチオーソ 作品28

序奏とロンド・カプリチオーソ 作品28

  • 五嶋 龍 & マイケル・ドゥセク
  • クラシック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

 年明けの全米選手権では、プログラムを変更すると言っていたネイサン・チェンがどんな衣装で何を滑るのかに注目していた。彼の最近の衣装は一言で言えば「そっけない」感じで、それがクワンと同じヴェラ・ウォンだと知った時には驚いたものだ。同じ黒でもライサチェクのむんむんとした妖しさとは程遠く、ケリガンやクワンのクリーンな美しさともまた違う、本当にそっけないシンプルさだ。オーダーが「とにかく動きやすくて綺麗すぎない」みたいな感じなのかなと想像する。そんな彼はプログラムを『ラ・ボエーム』と『ロケットマン』に戻してきた。『ラ・ボエーム』は黒いジャケットのシルエットがヴェラらしいのかなと思わせる衣装だったが、目を引いたのは『ロケットマン』のド派手な太陽のプリントだ。全米では痛々しい転倒があったけれど、派手でエネルギッシュなプログラムとあの衣装は、ネイサンによく似合っていると思った。彼は『ロケットマン』で北京に突っ込む気なのだろう。

 『ノッテ・ステラータ』が、はかない愛を永遠に誓い続ける白鳥の絶歌なのだとしたら、『ロケットマン』は無限に引き伸ばされた一瞬を孤独に生き続ける宇宙飛行士の曲だ。妻が恋しいと嘆きながら、彼はぐんぐんと地球から遠ざかっていく定めだ。全ての男はロケットマンである、みたいな皮肉な解釈も出来るだろう。ブラッドベリの短編『ロケットマン』では、ロケットマンだった父は母と僕とを残して太陽に飛び込む。ネイサンの新衣装は、おそらくこの小説も意識してのことだろう。今期で競技生活からの引退を示唆している彼に、「最後は太陽に突っ込む意気で滑ってこい」という、これはヴェラからの餞なのかも知れない。

 果たして北京が「誰一人見捨てずに金色の丸いものに向かって飛び続ける男」と「たった一人で先陣切って太陽に突っ込む男」との激突の場になるのかどうかは分からない。全く別のベクトルを持った選手が制する可能性も大いにあるだろう。ただただ無事に安全にオリンピックが開催されることをねがうばかりだ。