netenaide

筋力弱くたどたどしく何もわかってない

『マーダーズ・イン・ビルディング』(2021-)・続きはこの夏

 アイドル女優から脱皮しつつあるセレーナ・ゴメスとコメディ界のベテラン二人が、マンハッタンを舞台に殺人事件の謎に挑むという連続ドラマだ。前回セレーナが出演している映画『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』の感想を書いた後に、彼女が改めてニューヨーカーを演じているこのドラマが目に止まった。軽く流し見しようと思ったら、すごく面白くて(というか何度も爆笑した)じっくり観てしまった。

 同じビルに住んでいるだけで本来は縁がなかったはずの三人が、犯罪実録もののポッドキャストのファンだったことをきっかけにゆるいトリオを結成し、マンション内で起こったある青年の死について素人捜査と同時進行で配信を始める。彼らの番組名"Only Murders in the Building"がドラマのタイトルにもなっている。マンハッタンで不自由なく暮らす有閑層の探偵ごっこかと思えばそうでもなくて、それぞれが人に言えない崖っぷちな事情を抱えている。でもどこかすっとぼけていて憎めない。笑いのセンスに関しては好みが分かれそうだけど、自分はとてもハマった。チャールズ役のスティーヴ・マーティンが脚本にもクレジットされている。

 

 

 舞台となる建物の名前はアルコニア。ユーチューバーが出て来るドラマはあっても、ポッドキャストが使われるのは珍しい気がする。巨大な建物内に声が反響していくイメージで音声だけのメディアを選んだのだろうか。(と思ったら、実録犯罪もののポッドキャストは結構なトレンドなのだそうだ。)マンハッタンの高級物件にはそれなりのコネクションや管理組合からの承認がないと入居できなくて、有名人だろうとお金があるだけでは希望の地域には住めないなどと聞く。だからアルコニアに暮らす彼らは社会からお墨付きの人々だと思うのだが、住人たちの事情はちょっと違う。

 セレーナ演じるメイベルは、裕福な叔母の部屋の内装を頼まれてアルコニア内で暮らす若い女性。襲って来る男は編み棒で滅多刺しにする(夢を見る)。実は子供の頃から毎年叔母の家に預けられていて、亡くなった青年とは幼馴染の関係であり、10年前のもう一つの事件の真相を知りたくてアルコニアに戻っていた。スティーヴ・マーティン演じるチャールズは、『ブラゾス』というかつての有名ドラマの主演俳優で、ドラマが終わった後も役と自分が切り離せないでいる。6年前に彼女とその娘が出て行ってからは孤独に暮らしているらしい。マーティン・ショートが演じるオリバーはミュージカルの舞台監督だったけれど、とある興行の失敗がたたって現在は開店休業中。経済的にも行き詰まって、このポッドキャストで再起を図りたいと願っている。このドラマは、過去の出来事に囚われている若者と、やらかしてしまったけれど未来を信じたい老人の人生がアルコニア内で交錯する物語でもある。そして、老人たちが演劇界の住人であることが、そこはかとなく、アメリカでは劇場公開出来なかった映画『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』を想起させるのだ。

 メイベルはタフに生きている風だけれど、なぜか護身用に編み棒を持ち歩いていて、本来のアルコニアの住人である彼女の叔母は最後まで出てこない。当初心を閉ざしていたチャールズには、出て行った恋人よりも7歳だったその娘の方に執着しているような描写がある。担当のウィリアムズ刑事は、義理の父親からの虐待で小さな女の子が亡くなった事件を嘆いている。このドラマには、本編とは関係ないふりをしながら、傷つけられた子供の影が常にちらつく。そこには30年近く前にウディ・アレンから受けたという虐待を再告発して彼の映画の公開を阻むに至った、養女の涙ながらの告白のインパクトがあるように思える。

 アレンをキャンセルすべきかどうかという論争でつらいのは、たとえ有罪が立証出来て彼のキャリアを全て消し去れたとしても、もしくは本当に周囲から吹き込まれて養女の記憶が書き換えられていたのだとしても、そこにひどく混乱して傷ついた子どもが存在していた事実は変わらないということだ。そのこと自体を自分の痛みとして二次的、三次的に傷ついてしまう人だってたくさんいるだろう。一方で、食えない奴だけど無実かもしれないおじいさんをどう扱うかという問題もある。可愛くないから、もう十分生きただろうからという理由で未来を奪えるだろうか。同情されない老人は、かつての傷ついた子どもであり、考えたくはなくても多くの人にとって自分の将来の姿でもあるのだ。

 とはいえ、観ていてつらい気持ちになるドラマではない。むしろ傷ついた子どもや、傷を抱えたまま成長した大人や、見捨てられかけた老人にただ寄り添う気持ちを笑いながら思い出す。『レイニーデイ』を観た時には人間ってどこまでも怖いと思ったけれど、こちらは人間のしょうがなさになんだかクスッと笑えるのだ。その差はどこにあるのだろう。

 一番好きなシーンは、オリバーがキャリア転落のきっかけとなった運命のミュージカル『スプラッシュ!』について語る場面だ。12人の男性人魚が歌いながら次々と水量の足りないプールに飛び込んで行く、という荒唐無稽で痛々しいシーンを淡々と語るのだが、あの瞳は本当にあったことを語っているようにしか見えない。驚異の演技力で、痛いけど大好きな場面だ。そしてそんな失敗をして信用を失った彼が未だにショービズ界に未練があるというのも、しょうがない人なのに愛おしくも思えてくる。

 色々めんどくさい事を書き綴ってしまったが、自分にとってこのドラマは、セレーナ・ゴメスと一緒にニューヨークを描くならこうでしょ、というのを人間に肯定的なバージョンで撮り直してくれた作品だ。『レイニーデイ』で色々引っかかっていたモヤモヤは、ことごとく気持ちよく打ち返されている。そして被害者の青年が何者だったのかというのも、演じた俳優のプロフィールまで含めて考えるとまたとても深い。日本人こそ彼の背景は知っておくべきなのだ。もうすぐシーズン2が配信になるので、ディズニープラスの操作性の悪さはちょっとストレスなのだが、まだしばらく解約できない。

 

Arconia Elevator Theme

Arconia Elevator Theme

  • シッダールタ・コスラ
  • サウンドトラック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes