netenaide

筋力弱くたどたどしく何もわかってない

この苦い土にわずかな希望を

 猫は飼い主が真剣であればあるほど、譲れない使命のように邪魔をしたがる。大切なweb会議に限って天袋からパソコンにダイブしてくるし、締め切りが迫っている時程どうしても一緒に昼寝しなければならないと訴えてくるし、テストの前日には頑としてノートと教科書の上から動かなくなる。構われたくない時は気配を消して勝手に寝ているくせに、飼い主が他のことに気をとられると、驚くほど敏感に察してくる。

 去年自分が一番猫たちに邪魔されたのは、間違いなく宇野昌磨の『オーボエ協奏曲』を観ようとする時だった(羽生選手の時にはあらかじめ猫たちを部屋から締め出していたので、その比較は出来ない)。それはもう必死に割り込んでくるので、『オーボエ』の時にはいつも画面の半分くらい猫に隠されていた。宇野選手だけを贔屓にしているつもりはなかったのに、どうしても妨害すべき何かがあったらしい。先日、録画したファンタジー・オン・アイスを観ようとしたら、また彼らが心配して押し寄せてきて、あの時のおかしな攻防戦を思い出した。

 自分が『オーボエ協奏曲』に引き寄せられたのは、マルチェッロのオーボエ協奏曲とヴィヴァルディのチェロ協奏曲が違和感なく繋がるという構成の妙だったと思う。マルチェッロはいっとき歴史に埋もれていた作曲家で、このオーボエコンチェルトもヴィヴァルディの作だと考えられていた事があったらしい。その二人の曲を合わせ鏡のように配置して、その間に宇野昌磨の演技が浮かび上がるという構成に、覗き込まずにはいられないような不思議な吸引力を感じた。振り付けは宮本賢二さんで、選曲はステファン・ランビエールコーチだったのかなと思う(違っていたらごめんなさい)。宇野自身は曲選びに関知せず演者に徹するというスタイルも、このプログラムには合っていた。

 ファンタジー・オン・アイスは羽生結弦とレジェンド級のベテランが中心のショーで、宇野昌磨は出演していない。心配する猫たちを慰めながら途切れ途切れに眺めていたのだが、ここのところ密かに心に留めていた曲をそのステファンコーチが自身の演技に使っていたので驚いてしまった。後半のプログラム、マックス・リヒター版の『This Bitter Earth』だ。自然とのバランスを考え直すことがテーマだと幕間に語っている。

 この曲は、リヒターが自身の楽曲『On the Nature of Daylight』にダイナ・ワシントンの1960年のヴォーカル『This Bitter Earth』を合成して作られたものだそうだ。そういう技法があることも知らなかったが、時と場所の異なる二曲がピッタリ重なって謎の奥行きが生まれるところに心惹かれる。『On the Nature of Daylight』が映画『メッセージ』に使われていた関連で知って、ずっと心に残っていた。

 認識アプリによれば、使われているのはリヒターのオリジナル版ではなく、コロナ禍の外出自粛期間中に在宅コンサートとして配信されたダニエル・ホープのライブ版であるようだ。元のブルースは恋の歌のように甘く響く曲だった。リヒターはそこから取り出した声に無限のループを加えてある種敬虔なトーンを引き出す。更に、コロナ禍のよるべない日々に聴衆が心を寄せただろうバージョンを、恐らくわざとステファン・ランビエールは選んでいる。

 

この苦い大地に

どんな果実が実るというの

 

そして 私の人生が

バラの輝きを覆い隠す

土ぼこりみたいなものだったとして

一体どうしたらいいの

誰も知りはしないのに

 

ええ、わかっている

この苦い大地が

時にとても残酷であることは

今日 若いあなたが

老いるのは あまりに早い

 

でも 心の内で嘆く時

確かに誰かが

応えてくれるんじゃないかと思ってしまう

 

そして 全てが過ぎ去った後には

この苦い大地は もしかして

そこまで苦くはないんじゃないかと

思ってしまうの

 

この苦い大地で

愛の意味とは何だろう

 

 原曲には、この後"that no one shares?"というフレーズがあって、本来は「誰とも分かち合えない愛に どんな意味があるの」などと訳せるかと思う。しかしステファン先生はただ愛の意味を問う"What good is love"という言葉で演技を終える。「誰とも分かち合えない愛」という詞の苦さも私は気に入っているけれど、その手前で曲を終えることで「愛は分かち合えなくはない」という希望をそっと残したのではないだろうか。

 ステファン先生の曲選びについては、ヨーロッパ選手権で一番弟子のデニスくんがブロンズを獲った時に感心して長文を書きかけたことがあったのだが、にわかには手に余ることを悟って放置してしまっている。あの時のデニス・ヴァシリエフスの演技には感激したので、いつか素人の妄言として許される範囲で供養したいと思っている。

 

ディス・ビター・アース

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This Bitter Earth / On the Nature of Daylight

This Bitter Earth / On the Nature of Daylight

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This Bitter Earth / On the Nature of Daylight

This Bitter Earth / On the Nature of Daylight

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