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筋力弱くたどたどしく何もわかってない

全部入りの卵を割り続けて・『1Q84』

 参院選の公示直後、駅前で現首相の応援演説を見かけた。といっても警備が厳重で弁士の姿は全く見えず、候補が元アイドルだから?いやいや現職の総理大臣がいるからか、などと思いながらすぐその場を離れた。ちょっと遠くで背伸びでもしようものならば、SPたちの鋭い視線が痛いほど飛んでくるような張り詰めぶりだったのだ。それからわずか10日あまりのち、遊説先で安倍元総理が銃撃される映像が繰り返しメディアで流れる事態となった。現職への警備の厳しさを目の当たりにしていたから、映像の中のその手薄さには驚いた。国民への人気には自信があっただろう元総理の、物々しくしたくないという意向でもあったのだろうか。

 元総理が暗殺のターゲットとなったのは正直意外だった。社会とのつながりを失って暴発した魂の持ち主が、それでも大義は自分の側にあるのだと主張するときに、むしろすがるように持ち出されるのが彼の名だと感じていた。やまゆり園事件の犯人がそうだったように。逆に元総理を告発する側の人たちは、彼が法で裁かれることを望んでいたのであって、疑惑が解明されないまま凶弾に倒れて欲しくはなかっただろう。そして捕らえられた容疑者の動機については、「特定の宗教団体」という不思議な表現を用いて恐る恐るマスコミの報道が始まった。そのこと自体がこの事件の特異さを示しているようでもあった。

 犯行の動機は「特定の宗教団体」によって家庭を壊された私怨であり、元総理がその団体と深く関わっていることを容疑者が確信したから、というのが報道から伝わってくるストーリーだ。そしてその「特定の宗教団体」が、政治家たちの間に深く根を張っていることがただの妄想とは片付けられない事実として明らかになって、国政は大混乱に陥り、自分もひどくショックを受けた。愕然としながら無性に読み返したくなったのは、村上春樹の『1Q84』(2009)だった。主人公が宗教2世のアサシンという当時は強引にも感じた設定が、刊行から十数年後に現前したのだ。

 

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 1Q84の世界は、ロサンゼルスオリンピックの高らかなファンファーレの代わりに、汎スラブ主義の作曲家ヤナーチェクシンフォニエッタで幕を開ける。改めて読み返してみて、世界が詰まった卵を内側からひたすら割り続けているような眩暈を覚えた。

 ヒロインの青豆は新興宗教の信者家庭出身だが、自分の意思で宗教との繋がりを絶ち、家族を捨てて生きている。スポーツ奨学生として身を立ててきた彼女は、元チームメイトの死をきっかけに、家庭内暴力の加害者である男たちをターゲットとする暗殺者となった。その青豆を見込んで仕事を依頼してくるのは「柳屋敷」に住む資産家の老婦人であり、彼女もかつて自分の娘を配偶者の暴力によって失った過去がある。DV被害者を保護する活動をしている老婦人は、やがて幼い少女たちに性的虐待を繰り返す宗教団体の教祖の存在を知り、その暗殺を青豆に依頼する。

 政財界に顔が利きつつ、資金を惜しまず青豆の仕事をバックアップする老婦人の存在というのはいささか都合が良過ぎるように思えるし、女を殴る男たちへの怒りには共感するものの、それが母親をカルトに取り込まれた容疑者の殺意と直接繋がるようには思えない。しかし「柳屋敷」に住む老婦人が『羊をめぐる冒険』(1982)の中で死にかけていた右翼の大物フィクサーの裏返しの姿なのではないかと思い当たると、にわかに生々しさは増す。

 糸杉が植えられた道の果てに屋敷を構える「先生」と呼ばれるその人物は、戦後の日本の政財界を陰ながら支配するネットワークを作り上げ、人知れずその中央で君臨してきた。『羊をめぐる冒険』の主人公は、死の床にある「先生」の元から消えた特別な羊を追うようにと、その側近から命じられる。羊は「先生」の意思の原型のようなものであるらしい。元A級戦犯である「先生」のモデルとなった人物は複数存在するのだろうが、例えば岸信介を祖父に持つ元総理のルーツも、「先生」の存在とはかなり近かったのではないだろうか。

 

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 「先生」が戦後の日本を動かすシステムそのものであったなら、その裏返しである「柳屋敷」の老婦人は、そのシステムが虐げてきたものの守護者だ。密室で殴られる女たちを救済してきたその彼女が、1Q84の世界で最終的な敵と見なすのは、信者の少女たちの生殖能力を奪うほどにレイプし続けているという、農業コミュニティから派生した新興宗教「さきがけ」の教祖である。

 暗殺のために教祖の元に送り込まれた青豆は、老婦人の話とはまた異なる彼の姿を知ることとなり、物語は更に複雑にねじれていく。ただここで言えることは、「先生」を中心としたシステムが犠牲にしてきたのは、家庭という密室で殴られ続けてきた女たちのような存在であり、老婦人の世界では、それは最終的に絶対者から幼女への性的虐待として現れている。そして青豆が対峙した教祖自身は、麻痺した彼にまたがりにくる巫女たちを拒むことが出来ず、死を望むほどの激痛に苦しんでいる。

 戦後の日本を動かすシステムのために払われてきた犠牲は、ついには「先生」や「さきがけ」の教祖自身の命を食い尽くすまでに至っている。というよりは、そもそものシステムがそういう設計でインストールされているものなのだろう。そして、彼らの安らかな死を許さずに瀕死の心臓を動かし続けることを至上命題とする者たちが、禁断の劇薬=家庭の不幸を拡大再生産するカルトとまで手を組むことを躊躇わなくなっている現状が、今回の銃撃事件の背景にはあった。何しろ投票率の低いこの国では、票を確保してくれる団体への便宜を図りさえすれば、未だ「先生」の遺産に与ることが出来ると見なされているらしいから。

 国を挙げての葬儀イベントという要素まではさすがに『1Q84』の中にもなかっただろうと思いながら読み返していたが、もう一人の主人公である天吾が、ずっと疎遠だった父親を見送る場面に行き当たった。

 「お父様はご生前、できるだけ飾り気のないご葬儀を望んでおられました。用の足りる簡素な棺に入れて、ただそのまま火葬に付してもらいたい。祭壇やらセレモニーやらお経やら戒名やらお花やらあいさつやら、そんなものは一切省いてくれとおっしゃっておられました。墓も要らない。遺骨はこのあたりの適当な共同の施設に納めてもらいたいと。ですから、もしご子息様にご異存がなければ・・・」

 彼はそこで言葉を切って、大きな黒い目で訴えかけるように天吾の顔を見た。

 「父がもしそれを望んでいたのであれば、こちらとしては異存はありません」と天吾はその目をまっすぐ見ながら言った。

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 大金を費やす国葬に対して質素に徹する天吾の父親の態度は素晴らしいとか、別にそういうことではない。天吾はNHK集金人としての父の生き方が理解出来ずに、ずっと隔たりをとって暮らしてきた。外見も考え方もあまりに違う父との血縁を疑ってさえいた。弁護士から遺品を渡された天吾は、父が生前「法定相続人」という言葉のみを使い、「息子」や「天吾」とは一度も発しなかったことを知る。自分は法律上確かに父の実子であり、出奔を疑っていた母も戸籍上は若くして亡くなっていることを確認するが、その上でやはり自分は「何者でもない」と思う。たった一枚残されていた家族写真の中の父は、疑り深そうな目をして写っている。『1Q84』の中に描かれていたのは、「家族」を信じられず「法」だけで繋がっていた男の葬儀だ。逆に今、法的根拠のない国葬で送られようとしている人物にとっては、法など意味をなさずに自分のファミリーが全てだったのだろうかと思い当たり、空恐ろしい気持ちにもなる。

 「法定相続人」として戸籍上の父を見送った天吾は、巡り会えるはずのなかった青豆との再会を果たし、二人は新しい家族として1Q84の世界から脱出する。青豆は20年間一度も会っていない天吾の子を妊娠している。二人がたどり着いた新しい世界にどんな矛盾や不条理が隠されていようとも、踏みとどまってそこで天吾と子どもと生きていくのだと青豆は決意している。天吾の眼差しは彼女と生まれてくる子どもをただ肯定している。

 天吾の母親の真実については、探偵役の牛河だけが知っていたものの、彼はそれを誰にも告げずにこの世を去った。母親の縊死と『羊をめぐる冒険』での鼠の自殺は対応しているようにも思える。鼠が自分と共に葬ったはずの羊は、1Q84の世界ではどこへ消えたのだろう。それを考え出すと『1Q84』がまた全く別の物語になってしまいそうだ。今はただ、押し付けられた家庭像から自由になって新しい家族の姿を受け入れる勇気を持つときなのだ。天吾のように目を覚まして。法は守って。