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鏡の国のワタシ

『スロウトレイン』

 TBS新春スペシャルドラマ『スロウトレイン』

脚本 野木亜紀子

演出 土井裕泰

音楽 長岡亮介

 

年末のSNSでは星野源が紅白で歌う曲について揉めていた(結局「地獄で何が悪い」から「ばらばら」へと変更になった)。年明けには、「逃げ恥」の一挙放送を家族が観ていた。そしてこの新春ドラマ『スロウトレイン』ではヒロインに絡むものの魂胆がよく分からないミステリー作家を演じていた。特に好きでも嫌いでもないのにずっと星野源の気配がある年末年始だった。特に好きでも嫌いでもないけどこの人は声がいいんだなと改めて気づいたり、そうだ歌手でもあるしと思い出したりした。

 

『スロウトレイン』はフリーの書籍編集者をやっている葉子(松たか子)、カフェ店長の都子(多部未華子)、江ノ電の保線員をしている潮(松坂桃李)という三姉弟をめぐるストーリーだ。とはいっても星野源演じる百目鬼見(もめきけん)が「新しい物語はもうありません」と言うように、そこにさほどドラマチックな事件は起きない。三姉弟はまだ潮が幼い頃に父母と祖母を一遍に亡くしており、長女の葉子は妹弟に寄り添うために結婚を諦めて独身を貫いているらしい。次女の都子は逆に恋多きタイプで姉と弟が暮らす鎌倉の家にはほとんど寄りつかない。弟の潮は保線員という地味な仕事を心底愛している様子だ。

 

雰囲気のある古民家に雰囲気のある登場人物と集う松たか子にはなんとなく既視感がある。彼女が恋人と結婚しなかった理由を謎めかして微笑んでいるだけだったら、まるで坂元裕二作品のようだったかも知れない。しかし脚本の野木亜紀子はそこに「あーそれな」と頷くしかない理由をぴっちりと嵌め込む。松たか子を謎めかせないことがこのドラマの主題だったのかも知れない。葉子が「実はね」と結婚しなかった理由を詳らかに語ることで、「結婚しない姉」を理由に停滞していた妹と弟の人生にも別の光が当たる。

 

星野源は今では担当を外れている葉子に妙に突っかかる作家を演じていて、なぜか彼女にマッチングアプリを勧めたりする。(そして妙に目が冷たい。)野木亜希子はそんな彼の動機についても視聴者の想像の余地を残さずはっきり開示する。本当はどっちが好きだったんだろう、みたいな余白や余韻は残らず塗り潰す勢いだ。そこに謎なんてない、語るべき物語はもうないのだ。

 

葉子は盆石という伝統芸術に関する本の編集を託される。漆塗りの盆の上に砂で繊細な景観を描くという儚い芸事である。出版センスのない社長の構想に代わる新しい視点を模索することになった彼女は、盆石で描かれた風景に作家が掌編を添えるアンソロジーの形式を採用する。テーマは「寂しさ」。物語の終わった世界にはそれでも美しい砂の模様と寂しさを抱えた個人の短篇が並ぶのだ。確かに寂しい。でも美しい。そしてまだ紡ぐべき言葉はある。

 

半ばヤケクソで葉子がマッチングアプリで会った3人目は野木作品常連になりつつある宇野祥平で、所詮葉子はまだ本当の孤独を知らないのだとフィクションの世界の住人たちに一人現実を突きつけるような役回りだった。彼と星野源は『罪の声』で共演して以来、特に野木作品においては昭和の人たちの心象に刻まれた「キツネ目の男」のイメージをどこか分かち合っているようなところがある。星野源がガッキーと新しい婚姻の形を模索したり、キツネ目の男同士でイカしたタッグを組む隙間に、現実担当の宇野祥平は丸い目をしてぬっと佇んでいる。

 

星野源に対して「特に好きでも嫌いでもない」と注釈を入れたくなるのは、彼に重ねられたイメージの重さをなんとなく痛々しく感じるところがあるからかも知れない。これ以上「彼はこういう人」みたいな解釈を負わせるのが何だか自分にはためらわれる。私は見てないからもっと自由に歌い踊っていてください、というような気持ち。物語の後を書いていこうという野木亜紀子の覚悟には頼もしさを感じるけれど、百目鬼見の冷ややかな目にはなんだかそんなことも思った2025年の新春ドラマだった。

 

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