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チューリップ畑のタワシ

『東京物語』

東京物語』(1953)松竹

脚本 野田高梧 小津安二郎

監督 小津安二郎

音楽 斎藤高順

 

先日『秋刀魚の味』で小津安二郎デビューを果たしたので、熱が冷めないうちに原節子デビューをしたいと思った。自分にとっての原節子は『動物のお医者さん』で漆原教授が大切にしていた(?)ブロマイドの麗人である。ところが『東京物語』はミーハーな気持ちで見始めたらしゅんとしてしまうような濃厚な死の気配を感じる作品だった。小津映画って原節子がいそいそと大根をおろして笠智衆がしみじみと秋刀魚を食べるみたいな話では全然ないということをなんとなく理解し始めた今日この頃だ。

 

笠智衆東山千栄子が演じる老夫婦が遠く尾道から子どもたちに会いに上京してくる。医者をしている長男と美容院を経営している長女は忙しくて思うように相手ができず、戦死した次男の嫁が仕事を休んで二人をもてなす。兄妹はお金を出し合って両親を熱海の温泉に行かせるが、落ち着かない老親は一日で戻ってきてしまい長女を困らせる。

 

長男の息子たちが離れて暮らす祖父母に対してちっとも懐かない感じも分かるし、ちゃきちゃきの東京の人となっている長女が、老親に対してちょっとずつ邪険なのが見ていて辛い。「お刺身は要らないわよ」「お煎餅で十分なのに」。でも彼らが「もう帰ろうと思う」と言うと「まだいいでしょう、次の休みには歌舞伎に行きましょうよ」などとも言う。孝行したい気持ちはあるが、それは常に「今」ではないのだ。

 

そんな中、原節子演じる戦死した次男の嫁、紀子だけは慎ましい一人暮らしのアパートに義両親を招いて甲斐甲斐しくもてなす。部屋には亡くなった夫の写真が今も大切に飾られている。あまりに健気で、義理の家族に心から尽くす姿はまるでシンデレラだ。義母からもう自由になって欲しいと言われて「私、歳取らないことに決めてますから」と答える白い横顔には幽玄な迫力すらある。

 

秋刀魚の味』もそうだったが、小津作品がこんなに死の気配に満ち満ちているものだとは知らなかった。登場人物たちはみんな団扇を手にしていて、彼らの道行はちょうどお盆の頃だったのかなと思う。紀子は尾道に帰った後に急死した義母の時計を託され、「今が一番楽なんです」と言っていた彼女の時が動き始めたような描写でこの映画は終わる。義理の家族に尽くす心優しい嫁の時間は、夫を亡くして以来止まっていたのだ。時を止めて(生身の男ではなく)死んだ男と寄り添っていたいというのは彼女の本心でもあるのだろう。(生前の夫の話になると彼女の表情は一瞬曇るようにも見えるのだ)。しかし一番下の義理の妹に語ったように、いずれは彼女も変わらざるを得ない。義母の葬式の後も尾道に残っていた紀子がとうとう帰京する日、義理の姉妹は別々の場所でそれぞれの時計に目を落とす。

 

昭和の記憶のある自分にとっては、東山千栄子が演じる義母の風貌には何か、誰かを連想させるものがあった。紀子がはとバスで義両親を案内するシーンでは「昔は千代田城と呼ばれていた」という皇居の側を通過する。ニコニコとガイドに耳を傾ける老夫婦が象徴しているものとは・・・そういうことなのだろうなと思う。寂しく世知辛い物語ではあるけれど、今作で原節子が演じていたのは、きっとある意味では我々のプリンセスそのものだったのだと思った。

 

 

熱海のくだりで連想した↓