ポワロと戯曲の迷宮/『マギンティ夫人は死んだ』(1952)
Agatha Christie,Mrs. McGinty's Dead,1952, 田村隆一訳
探偵業を引退し、日に3度の美食生活を堪能しているエルキュール・ポワロ。そこに自分も引退間近なスペンス警視が相談に訪れる。掃除婦のマギンティ夫人殺害容疑でジェイムズ・ベントリイという青年が死刑判決を受けたのだが、自分が逮捕したにも関わらずどうもひっかかるものがあるのだという。スペンスが心安らかに引退生活を送れるように、ポワロは再捜査を引き受けることにする。
舞台となるブロードヒニー村は戦後に多くの住民が入れ替わった新興住宅地で、住人たちは互いの過去を深く知らない。中には来歴を積極的に隠したい者もいて、そのことが事件の鍵となる。被害者のマギンティ夫人は有能な掃除婦として毎日多くの家に出入りしているうちに、誰かの知られたくない過去に気づいてしまったらしいことが再捜査によって分かってくる。
ポワロは地元では数少ない古い家柄であるというサマーヘイズ夫妻のゲストハウスに滞在するのだが、外国帰りで家の切り盛りはからっきしな若夫妻と几帳面なポワロとの掛け合いが面白すぎる。整理整頓を旨とするポワロは、毎回夫人が開け放したドアを閉め、ひっくり返した豆を拾い、ぶちまけた引き出しの中身を整理する。するとその途端にほうれん草の籠を手にした夫人が全く別のものを探してバタバタと入ってくる。そこに夫が遠くから(大体家畜の世話の件で)彼女を呼ぶので、夫人はほうれん草をほっぽり出してまたドアを開け放して出ていってしまう。オーディブルの朗読が巧みなこともあって、サマーヘイズ家の様子は爆笑コントのようだ。
サマーヘイズ夫人の恐ろしい料理(ちょっとカビが生えていた方がペニシリンがあっていいとか!)からほうほうの体で逃げ出したポワロは、旧知の作家アリアドニ・オリヴァと再会する。彼女の方はこの村に住む新進脚本家ロビン・アップワードと共同作業をする為にやってきたのだという。彼女の名探偵「スヴェン・ヤルセン」に対してロビンが提案する的外れな脚色案に辟易するオリヴァ夫人は、気分転換に自分でもマギンティ夫人事件を探ってみることにするが、今度はロビンの母で資産家のアップワード夫人が殺されてしまう。
リーダーのポーズを真似て踊る遊戯の一種に表題の「マギンティ夫人は死んだ」という歌もあるらしくて、スペンス警視やアップワード夫人など一部の年代の人はその歌詞を被害者の名から突然脈絡なく連想する。見立て殺人ではないのだが、まるでお遊戯のように殺人(や間借り人といったある構図)が反復されるというのがこの作品のモチーフであるようだ。ポワロがスパイを送り込むウェザビー家の芝居がかった様子もまるで戯曲のようだし、真犯人が犯行現場に出入りする様子も演劇的かも知れない。戯曲もお手のものなクリスティがあえて小説ならではのメタな仕掛けを忍ばせるところに、好き勝手な脚色化に対する作家の心意気を感じるようにも思った。
サマーヘイズ夫人が気に入って振り回していたシュガーハンマー。塊で流通していた砂糖をかち割るための道具だったそうだ↓