netenaide

筋力弱くたどたどしく何もわかってない

氷の城の接線

 「友達になれないのはわかったけど 何で写真はここで見せちゃいけないの? ミッキーマウスって丸裸で写真を撮っているの?」

 「無断でキャラクターを使えないのさ ウォルト・ディズニー・カンパニーは厳しいからね」

さくらももこコジコジ』(1995)

 立派な「メルヘン者(しゃ)」となることを期待されたメルヘンの国の住人たちの物語、『コジコジ』の中の名言は多いけれど、このハレハレ君の常識的な言葉が一番忘れられない。二十数年来この忠告は密かに肝に銘じて生きてきた。国民的キャラクターを擁するさくらももこ先生ならばキワキワまで攻めることも可能だけれど、一般人はうかつにディズニー・キャラクターには近づかない方がいい。彼らの権利関係は非常に複雑で厄介だから。


  

 2016年に放送された『ユーリ!!! on ICE』に2020年になってから夢中になり、そこに描かれている何かを知りたいと心から願ったけれど、最初は何の手がかりも思い浮かばなかった。『ユーリ』は初めて本格的にフィギュアスケートを題材にしたアニメ作品であるらしいのに、初心者向けに広く魅力を普及しようといった配慮はあまりない。登場人物のほとんどは男子シングルの選手たちで、試合もほぼグランプリシリーズだけを描いているというニッチぶりだ。それなのに一度心をつかまれるとフィギュアスケートについて嫌でも詳しくなり、やがてこれは本当にスケートの話なのか、自分が何を見せられているのか判然としなくなってくる。『ユーリ』とは一体何の話だったのか。自分にとってそれを考えるには、たとえ見当外れでも、何らかの補助線を書き足してみる必要があった。

 『ユーリ』の原案者たちが構想に2年かけたと発言していたのも今思えば大きなヒントだったが、2020年の朦朧とした頭には、読解の手掛かりがなかなか思いつかなかった。リアルなフィギュアスケート選手の動向から考えるというのは難易度が高すぎたので、それ以外の部分から何か見つけたかったけれど、それが何なのか分かりそうで分からない。「氷」をモチーフにした映画が世界的に大ヒットした年があったじゃないか、と気付くまでに数日悶々としてしまった。ウォルト・ディズニー・カンパニーには近づかないように、という有難いハレハレ君の教えが自分の中で盲点となっていたかもしれない。勝手な自主規制を彼のせいにしてはいけないが。

 『アナと雪の女王』のアメリカでの公開は2013年11月、日本では翌年3月から上映が始まっている。異例の大ヒット&ロングランが続き、挿入歌の『Let It Go』も大流行した。世界中の老若男女が気持ち良く「レリゴー」と唱えていた季節が確かにあったのだ。それは時期的に『ユーリ』のアイデアが練られ始めた頃と重なるのではないだろうか。氷の魔力に悩む女王が出奔し、何も知らぬ妹が連れ戻しに行くというストーリーは、世界王者ヴィクトル・ニキフォロフがロシアを飛び出し、弟弟子のユーリ・プリセツキーが追うという『ユーリ』のストーリーとなんだか重なりそうである。

 

レット・イット・ゴー - ありのままで

レット・イット・ゴー - ありのままで

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 『アナ雪』ブームもひと段落かといった頃、「あれは実は女性同士の恋愛を描いた話だ」という解釈を見るようになった。多分、エルサの氷の魔法が何かを象徴しているのだとすれば、それは広く個々人を縛る何かに対するアレゴリーであって、人知れず悩みを抱える者はそれが誰でもどんな悩みでも、自分とエルサを重ねて励まされていいのだろう。中の人の一人は、難病の息子とエルサを重ねたと語っている。しかし、一人の架空のプリンセスのセクシャリティに関して、「エルサは自分だ、間違いない」と特に強く確信した層と、積極的に応援する層、そしてそれを脅威と受け取る層が生まれていた。

 2015年に続編の制作が発表されると、「エルサに同性の恋人を持たせて欲しい」という話題が盛り上がり、2016年5月には「エルサにガールフレンドを」というハッシュタグが流行する。それに対抗してウルトラ保守系の署名サイトは「エルサに魅力的な王子様を」というタグでディズニーに圧力をかけることを呼びかけた。エルサ本人の意向(架空の人物だけど)は置き去りにして、彼女の性的指向やら恋人の有無やらについて大論争が巻き起こっていたのだ。

 こう状況証拠が揃うと、『ユーリ!!! on ICE』とは「エルサにガールフレンドを」というLGBTムーブメントへのアンサーソングだったのだろうと考えたくなる。リベラル派からすれば悪意を感じるハッシュタグに対して、「お望み通りプリンスを連れてきたよ、エルサも男だけど」と痛快な意趣返しをしてみせたのではないか。しかし、どうやら『ユーリ』はそんなに簡単に答えを与えてくれる物語ではない。気分良く『アナ雪』のサウンドトラックを聴いていた自分は、その歌詞にギョッとして、慌てて何度も『アナと雪の女王』を観直すことになる。大げさだが、気付いた時には鳥肌が立つほど怖かった。長谷津へやってきたばかりのヴィクトルの言動は、アナを騙すハンス王子とほぼ同じなのだ。ヴィクトルは悩めるエルサだと思っていたのに、どうして邪悪な王子の真似をしているのか。『ユーリ』では誰が誰の役を演じようとしているのか、一瞬で見失ってしまった。

 


 

真昼のプリニウスと氷上のシェヘラザード『 ICE ADOLESCENCE』特報によせて

 「それで、この計画全体というか、このシステムには何か名前は付いていないんですか?」と頼子は自分もだいぶこのプランを面白がっているなと思いながら、たずねた。

 「ぼくはもう決めています。このシステムに、あるいはこれを管理するコンピューターに、付けるべき名前は一つしかありません。つまりですね、ひたすら、かぎりなく、話が出てくる魔法の箱に名があるとしたら、ふさわしい名は一つしかない。すなわち『シェヘラザード』です」と門田は言って、いささか得意そうに二人の顔を見た。

池澤夏樹『真昼のプリニウス

 2020年の前半はひたすらNetflixを見続けていた。2019年末にはまだ対岸の火事のように扱われていたコロナ禍は、年が明けるともちろんあっという間にこの国にも上陸して、家族はそれぞれリモートワークやリモート授業に対応しなければならなくなった。自分自身の暮らしはそこまで大きく変わった訳ではないが、常に誰かと家にいる生活というのは想像以上にというか想像通りにというかストレスが大きい。どの都市の感染者が今日は何人、といったニュースも定期的に見ないわけにはいかないが、そればかりではメンタルを蝕む。何か内なる喜びを見つけないと危ないと感じて、取り敢えずは動画配信サービスにすがった。イヤホンをして携帯の画面を見つめれば擬似的にでも一人の時間を取り戻せることに随分と慰められた。

 海外ドラマの一気見から始まって、気になりながら観ていなかったドラマや映画を、この機会に浴びるように摂取した。しかし数ヶ月後、とうとう観たいと思える動画が底をついた。オススメ作品は無限に表示されるのだが、どれも同じに見えるようになってしまって、どうにも食指が伸びなくなったのだ。現実逃避の手段を失って再び精神衛生の危機である。その時にぼんやりと思ったのは、次々とおすすめ動画が出てくる動画配信サービスというのは、昔読んだ小説に出てきた「シェヘラザード」みたいだな、ということだ。あの無限にお話が出てくる魔法のシステムは、結局どうなったんだっけ。

 『真昼のプリニウス』が発表されたのはバブルの最中の1989年で、自分が読んだのはもう少し後の時期だったけれど、当時はインターネットも携帯電話もまだ一般的ではなかった。そこで語られていた「シェヘラザード」とは固定電話を想定したサービスで、気軽に聞ける短い物語を無数に吹き込んでおいて、そのダイヤルに掛けるとランダムにどれかと繋がるというシステムだ。今からすれば随分素朴で、そういった偶然性を楽しむような余興は今日ネット上にありふれている。ただ、門田(もんでん)という広告マンが語る「シェヘラザード」が今でも興味深く思えるのは、それだけではないどこか悪魔的な魅力がそこに込められていたからだ。

 門田によれば、その「シェヘラザード」が提供する物語群には一定の傾向が無い方がいい。神話のリライトからささやかな歴史のトリビア、そしてエビの養殖の実際、みたいな話までをごちゃごちゃに混ぜる。

「カテゴリーに分けられる前の、あらゆる物が渾然とある状態、学者たちによって細分される前のトータルな状態の世界を、その雑然たる印象のままに、隙間から少しだけ見せる」

「つまり・・・」と言って頼子は考える、「百科事典の原理を裏返すわけ?」

 「シェヘラザード」に電話をかける者は、無作為にバラバラにされた世界のかけらの一つとつかの間繋がる。その行為を面白いと感じて実際にダイヤルする人間がどれだけいるかが、このアイデアがビジネスとして成り立つかどうかの分かれ目となる。門田自身はいけると踏んでいて、お話の提供依頼とリサーチを兼ねて、地質学者の頼子とその弟の卓馬に「シェヘラザード」の構想を披露する。外科医をしている卓馬には、どうもこのシステムはピンときていない。「何で普通の人間が(無意味な情報を聞くために)電話をするんだ?」と尋ねる彼に「上手く説明は出来ないが、トランキライザーのようなものだ」と門田は答える。「少なくとも自分はかけると思うから他の人の意見を聞きたい」。仕事がひと段落した夜などに、ふと自分もダイヤルするかもしれない、と頼子は思う。

 無意味な話を聞くために「普通の人が電話する」魔力を生むのは、そこに吹き込まれる物語の数だ。「百では全然つまらない。千あるとちょっと面白くなる」。確かに五十から百も気の利いた小話を集めれば、ちょっとした気晴らしを提供するシステムとしては稼働できそうだが、それでは「シェヘラザード」の魅力は生じないのだろう。誰かがたまたま戯れで引き当てた無意味な物語の背後に、語られなかった千の物語が存在していること。その無駄に思える部分が「シェヘラザード」に妖しげな命を吹き込む。語られなかった千の物語の総体のようなものを想像するかどうか、そこに暴君を慰めて尽きることなくお話を語ってくれるアラビアンナイトのお姫さまの面影を見出すかどうかが、門田のプランに興味を持つ人とそうでない人との違いなのだろう。

 日々メスを握って生身の人間を切り開く卓馬には、それは無意味な情報の集積にしか思えないが、人間のスケールを超えた地殻の内側を考えることが専門の頼子には、魅力的な「何か」の横顔がおぼろげに浮かぶ。そしてバブル期の広告業界に棲息する門田には、「シェヘラザード」は自分以外の人間も必ずや魅了するはずの美女に見えていて、彼女を育てるプランに取り憑かれている。ただ、物語のサンプルを読んで「門田の好みが反映されすぎている」と頼子が感じるように、門田は「世界そのものを提供する」と言いながらも、物語の切り取り方や整え方に、こっそり自分の編集を加えている。シェヘラザードの魅力は、門田の語り口のうまさによっているところが大きい。「シェヘラザード」は門田の夢の美女なのだ。他の誰かがコピーアンドペーストで乱雑に千の物語をかき集めてみたところで、そこに美しい面影が浮かぶとは限らないのだろう。


 


 

 時は移って2020年代の動画のサブスクリプションにどれだけの「物語」が収録されているのかというと、数え方にもよるが、Netflixアマゾンプライムといったメインどころで四千本前後といったところらしい。門田は、この数を多いと言うだろうか、少ないと言うだろうか。ステイホームのはじめ、サブスクの海に浮かんで見えたシェヘラザードは確かに慰めだったが、「こういうのがお好きでしょう?」と親切におすすめされ続けた結果、どうやら自分は夢の美女を見失いかけていた。

 作家・池澤夏樹なら「大切なのは世界と自分と美女とのバランスを取ることだ」と思慮深く忠告してくれそうだし、言われなくても彼のファンなら今すぐスマホの電源を落としてセスナ機の操縦マニュアルを読み込んだり、地図を開いて日本の最東端への行き方を調べたり、そうじゃなくても散歩コースを工夫したり筋トレをしたりして心身の健康を保つことに努めるべきだと思うが、自分は未だだらしなく動画鑑賞に溺れる生活に未練があった。まだまだ何も考えずに夢の美女に慰められていたかった。

 『ユーリ!!! on ICE』(2016)を観てみようと思ったのは、好みが合うと密かに共感していた人がSNSで触れていたのをふと思い出したからだ。その人の趣味は信頼していたものの、フィクションを見続けることに疲れ果てながらも止められないという末期的な状態で手を出して、正直何も期待していなかったのだが、見始めて直ぐに「なんだかこれは好きかも知れない」と感じると、その後は急転直下沼に落ちた。見失った夢の美女どころではない、目が覚めるようなとんでもない美女と出会ってしまったのだ。

 『ユーリ』はフィギュアスケートの物語のはずなのだが、そこに描かれているのが何なのか、自分は正直今でも全然分からない。あまりに分からなくて、少しでも理解したいとブログ的な文章を数百年ぶりぐらいに書いてみたくらいだ。いつか熱は冷めると思って公開するつもりもなかったのだが、出会って一年以上経っても毎日『ユーリ』のことを考え続けているし、未だにコロナ禍の出口は見えず、明日の自分がどうなるかもよく分からない。いつまでできるか分からないが、少し見直しながらネットに放流してみてもいいかと思い始めている。勝生勇利がテレビシリーズのヴィクトル・ニキフォロフと同じ年齢になり、世界選手権で5連覇したはずの今年、劇場版が公開されることを願いながら。

 

 

 『真昼のプリニウス』の「シェヘラザード」だが、門田は頼子に複雑怪奇な告白をした挙句きっぱりと拒絶されてしまい、その後、彼のプランがどうなったのかは分からない。きっと失敗したのだろうと当時は思っていたが、今読み返すと結構したたかな人物だし、案外どこかで完成させている気もする。奇しくも、というほどではないけれど、この小説が発表された1989年のシーズンのフリー・スケーティングに、伊藤みどりリムスキー・コルサコフの『シェヘラザード』を滑っている。今見ても異次元のジャンプで完璧な演技に見えるが、世界選手権では惜しくも銀メダルだった。『ユーリ』の世界の世界王者ヴィクトル・ニキフォロフは、多分その前年、彼女が女子で初めてトリプルアクセルを成功させて世界女王となったシーズンに生まれている。昨年、勝生勇利の誕生日に公開された『 ICE ADOLESCENCE』特報に映るパリは、もしかしてその時の世界選手権のパリと通じているのではないか、などと無責任に連想する。どんなストーリーなのかは全く想像がつかないけれど、彼らはきっと今年の冬に帰ってくる。

 

 

牛の要求と『メッセージ』(2016)

 『メッセージ』という邦題はありふれていて、タイトルをいつか失念してしまいそうだと公開当時に危惧した覚えがある。原題は『Arrival』、テッド・チャンの短編小説『あなたの人生の物語』の映画化だ。地球上のあちこちに同時発生的に謎の物体が飛来する。その内部では、スクリーンのような壁越しにエイリアンと対面することが出来る。彼らの意図を探るために、未知の言語を解読することになった言語学者エイミー・アダムスが演じたSF作品である。キービジュアルの宇宙船らしきものが米菓「ばかうけ」の形状に似ているということが、当時ちょっと話題になったと思う。映画館で観てから、気になって原作を読んだ。機会があったらもう一度観たいと思いながら忘れかけていたところ、Netflixのオススメにあのばかうけのシルエットが出現して、タイトルを忘れる前にまためぐり合うことが出来た。

 

 

 同時多発的に各国に謎の宇宙船が出現して騒然となっている世界で、言語学者のルイーズの元に軍が協力を求めてやってくる。ルイーズはエイリアンとの直接の対話を求めるが、フォレスト・ウィテカー演じるウェバー大佐は彼女を連れていくことは出来ないと別の学者をあたろうとする。ここでルイーズは他の候補者に「サンスクリット語での『戦争』とその語源」を聞いてみるようにと謎かけをする。果たして大佐は深夜にルイーズを迎えに戻って来る。このやりとりは映画オリジナルで原作にはない。「『ギャヴィスティ』、語源は『討論』だそうだ。違うのか」「『牛がもっと欲しい』ね」という端的な会話だけで、ルイーズは軍用ヘリに乗り込むことを許され、共同研究者となる理論物理学者のイアンと引き合わされる。この大佐との謎めいた駆け引きがずっと引っかかっていた。

 大佐はなぜ思い直して未知との遭遇の場にルイーズを連れていくことにしたのか。サンスクリットを全然知らないまま想像するに、『戦争』という抽象度が高い単語の語源に『討論』という同じく抽象的な単語を持ってくるというのは、辞書的な記述にはままあることだけれど、不毛なトートロジーに陥りかねず、この任務にあたる者の説明としては不十分である、ということを指摘したかった、のかも知れない。こじつけが過ぎるとは思うけれど。ルイーズは以前も大佐の軍事作戦に協力したことがあるらしい。彼女はサンスクリットの『戦争』について、ライバルが述べそうなことが分かっていた。そして大佐がその説明に違和感を覚える知性の持ち主だということも知っていた。さらに言えば『戦争』を生業とする大佐には、『戦争』の起源について直観的な理解が備わっているはずであり、彼を納得させられるのは自分の解答の方だ、ということまで見越した発言だったのかも知れない。

 原作の『あなたの人生の物語』は、ある言語学者が未知のエイリアンの言葉を習得していく過程を描いたSF短編、であるはずなのだが、エイリアンとのセッションと同じ比重で結婚や出産といった個人的な人生のドラマが綴られる。彼女が「あなた」と呼びかけるのは、どうやら大切に育てている一人娘に対してである。出産の喜び、瞬く間の成長、父親との離婚、再婚、賢く美しく成長して独り立ちしていく姿、そして不慮の事故による死別、といった最愛の娘の一生を「ヘクタポッド」と名付けたエイリアンの特殊な言語を学んでいく中で彼女は知覚するようになる。実際には彼女はまだ妊娠も結婚もしておらず、時間の概念がない(ないわけではなく時制にとらわれない非線形の時間ということなのだが)ヘクタポッドの言語を学習することで、これから起こることが見えるようになっている、というのがこの物語最大のネタバレで、未来が全て分かっていても、娘の父親となる男性からの誘いに微笑んでイエスと答えるという結末が不思議な余韻をもたらす。

 知覚が変化して、これから起こることが全て分かってしまったら、そのあとの人生を正気を保って生きていくことが出来るだろうか。絶望して命を絶ってしまう人の物語や、愛するものを救うために積極的に未来を変えようとする物語、幸いにも全てを忘却して平穏な日常を取り戻す物語、などが思い浮かぶけれど、『あなたの人生の物語』のヒロインは、ただ静かな喜びを持って全てを受け入れる。過去も未来も現在も溶け合った知覚というのは、存外そういった境地であるのかもしれない。

 


 

 

 実は原作に巨大な「ばかうけ」は出てこない。もう少しスケールの小さい「姿見」(ルッキンググラス)という通信装置が各地に多数出現し、世界中の言語学者と物理学者のペアが軍の介在の下、「姿見」を覗き込んでヘクタポッドと対峙するという仕掛けである。そう、未来の娘の父親になる男性とは、一緒に「姿見」を見つめる任を負った物理学者だ。軍はエイリアンとのセッションから軍事的に有用な新技術を得ることを期待しているが、結局既に地上にあるもの以外、何一つ新しい知見はもたらされなかったことがヘクタポッド達が去った後に判明するというオチがつく。全世界に112個現れたというその通信装置は、映画の中では12隻の巨大な宇宙船として現れる。科学者達は仰々しいチームを組んでその内部に侵入し、ヘクタポッドとのセッションに臨む。原作が「姿見」をのぞき込む女と男の物語であるならば、映画はより巨大なスクリーンを用いて男女の背後で「もっと牛が欲しい」と要求するものを映しだそうと試みているのだ。

 当初、ヘクタポッド飛来の意図を解明するために世界は協力して情報を共有し合っているが、「武器を与える」というメッセージが解読された途端、各国が疑心暗鬼に陥って協力体制は崩壊寸前となる。ヘクタポッドのいう「武器」とは本当に「武器」なのか。そもそも「武器」と「道具」の区別が曖昧な言語もあるし、「武器を与える」ではなく「武器を与えて欲しい」かも知れない。ルイーズとイアンが懸命に軍事衝突以外の可能性を読み取ろうとする傍らで、作戦を監視するCIAのエージェントは戦争へのシナリオばかりを口にし始める。

 イアンはヘクタポッドのメッセージは12分割されており、各国が協力して情報を共有することで完成するということを発見する。一方でルイーズはヘクタポッドの言語を習得していくうちに、自分の知覚の変化に気付き始める。彼女の中で、まだ起こっていない未来の記憶と現在とが重なり合って相互に干渉し始めるのだ。未来のルイーズは娘から「競争は起こるけれど最後は両者が得をする関係を表す言葉」を問われるが思い出すことが出来ない。「ウィンウィンより数学的な用語」だと言われて「お父さんに電話してみて」(物理学者の夫とは既に離婚しているのだ)と仕方なく答える。しかし、現在のイアンが「まず自国の情報を公開することで相手の情報も公開してもらう」「ノンゼロサムゲームだ」と提案した瞬間、未来の自分が「ノンゼロサムゲーム」という言葉を思い出す、ということを思い出す。

 イアンが口にする「ノンゼロサムゲーム」という用語は、原作では決して全てを解決する魔法のキーワードとして使われているわけではないと思うが、112個のルッキンググラスが12隻の宇宙船となって飛来し、ヘクタポッドの言語がやがては人類全体の意識を変革することになる世界ではそれなりの効力を持つかも知れない。覚醒したルイーズの行動と人類にもたらされる変化は、ここで文字にしても面白くないネタバレにしかならないだろうが、その変化のきっかけが、将来失うことになってしまう未来の娘からの問いと、添い遂げることはないと分かっている未来の夫の言葉が彼女の中で結びついた瞬間だった、というのは強い印象を残す。世界の変革の徴しというのは、ごく私的で儚い家族の記憶にこそ兆すものなのかも知れない。

 

Sapir- Whorf

Sapir- Whorf

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オン・ザ・ネイチャー・オブ・デイライト

オン・ザ・ネイチャー・オブ・デイライト

  • マックス・リヒター・オーケストラ & Lorenz Dangel
  • クラシック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

 そして冒頭の会話の謎に還る。現在と未来が相互に干渉し合うものであるならば、過去もまた未来からの影響を受け続けているのではないか。ルイーズはなぜ「サンスクリット語での『戦争』とその語源」と口にしたのか。「サンスクリット」には「完成された言語」という意味があるそうだ。古代インドの「完成された言語」においては「牛の要求」が「戦争」の語源であった。しかし参加者全員が勝者となるようなノンゼロサムゲームの世界では、「牛がもっと欲しい」と要求することは、もはや「戦争」を意味しなくなるだろう。 これから彼女が解き明かして完成させる全く新しい言語では、「牛の要求」は「戦争」の語源ではなくなる。自分は「議論」を超えた世界にたどり着ける。彼女のとっさの謎かけには、未来からのそんなメッセージが重ねられていたのかも知れない。そして大佐もきっとそれを正しく受け取ったのだろう。というのが、コロナ禍2年目になる酷暑の日の妄想だった。甲子園では同じユニホームの2校が戦い、パラリンピックは無観客開催の6日目、黒煙立ち上るカブールでは数百人以上の日本関係者が取り残されたままだと報道されている。