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筋力弱くたどたどしく何もわかってない

デュエルとコンペ

 

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 10月29日の早朝、自分の携帯画面に表示されていたのがこちらのニュースだった。詳細は後で調べようと思いながらも、これは波紋を呼びそうだなと寝ぼけた頭で思った。天彦さんがマスクを忘れてしまったのも、永瀬さんがそれを反則負けだと訴えたのも、トップ棋士同士、深夜の異様な過集中のなせる業だったのだろう。でも自分だったら「マスクを忘れてますよ」と一言伝えて済ませるかな・・・などと頭の片隅で考えながらその日を過ごした(後に将棋関係のSNSで、マスクを忘れていると直接伝えるのは「助言の禁止」にあたるという指摘を目にしてなるほどと思った)。

 永瀬さんは勝つためなら千日手も厭わない非常に勝敗にこだわるタイプの棋士だ。しかし特にタイトル者となってからは言動にも振る舞いにも大変気を配っているのが感じられて、おごらない姿勢には好感を持っていた。その彼が対局中の異常な精神状態の中で、相手がマスクをつけ忘れていることに相当追い詰められてしまったのだろうと想像する。過去の棋士たちだって、鼻血を出したり滝を止めたり宿屋に文句をつけて帰っちゃったり、平時の姿からは想像できないような逸話が数々残されている訳だし・・・。

 しかしファンとしては、真剣に観戦していた対局が突然マスクの有無で決着してしまうというのは頂けない。そもそもマスクは必要なのかとか、制度の不備がいけなかったとか喧々諤々となってしまうのも無理はないのだ。舞台がタイトル戦を除けば最高峰のA級順位戦であったことも問題だろう。他の棋戦でも今後はずっとこの一発退場ルールが適用されてしまうのだろうか。反則負けをくらった天彦さんだって、大事な対局をそう簡単に手放してしまうわけにはいかないのではないか。

 

順位戦における裁定について|将棋ニュース|日本将棋連盟

将棋の佐藤天彦九段、「マスク不着用」反則負けに不服申し立て:朝日新聞デジタル

 

 そう思っていたら3日後の11月1日になって、将棋連盟に不服申立書を提出したことを佐藤天彦本人がSNS上で明かした。まずは自分の非を認めながら感情を排し理路整然と制度の不備を指摘して再対局を求める内容で、当事者にとっても連盟にとってもこれが最善の一手であろうと感じた。本人から正式な申し立てがあれば連盟も禍根は最小限に制度を見直せるし、永瀬王座だってそれに従うのにはやぶさかではないのではないか(棋士の常識は素人のそれとは時に全くかけ離れていたりするので本当の所は分からないけれど・・・)。よくよく考えられた対応で、スパイファイリーのヘンダーソン先生なら「エレガント!」と評しそうだ。優雅なライフスタイルを好むことで有名な天彦さんだけれど、伊達に貴族として生きている訳ではないのだった。大変難しい問題であることは承知しているが、外野としては連盟がこのチャンスを上手く生かしてくれると信じたい。

 

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 こちらは30日に行われたスケートカナダ男子フリーでの出来事だ。本番直前の練習で靴紐が切れてしまったショート1位の三浦佳生に、2位でそれを追っていた宇野昌磨が靴紐やテープを貸したというエピソードである。そもそも将棋とスケートは全然違うと言えばそうなんだけど、それにしても対局相手の不注意を反則負けにした話とライバルに靴紐を貸す話とが続いた事で、二つの競技の違いについてしみじみと考えてしまった。永瀬拓矢が勝負に辛く、宇野昌磨が無私の善人だというのはもちろんそうだが、もしもやっていたのがフィギュアスケートだったなら、永瀬さんだってライバルに靴紐を貸したかも知れない・・・などと変な想像までしてしまう。

 将棋は一対一のデュエルであり、フィギュアスケートはジャッジが点数をつけるコンペティションである。その違いについてあまりはっきり考えたことはなかったけれど、一対一で勝負をつけるということは、対局者に大変な重荷を強いているのだと今回の件で感じた。足つきの将棋盤の裏には「血だまり」と呼ばれる窪みがあって、対局に口を出す不届き者の首をはねてそこに置くのだ、という話は今まで大袈裟過ぎると思っていた。しかし一対一の対決という行為には、本当に外野の生首に相当する程の負荷がかかっているのだろう。追い詰められた棋士が多少クレイジーな言動に走ってしまう事くらい当然だとも言えるのだ。

 それなら採点形式の競技は血生臭さを排した安心安全なものなのかと言えば、そこにはどうしてもジャッジの公平性に関しての疑問がついてまわる。どんなにルール改正を重ねても、意図的な不正はなくとも、関わる全員が納得出来るような判定を下す事は、ほぼ不可能であるようだ。コンペティションというのは、当人同士が殺し合わなくても済む=みんなで生きることが出来る競技である反面、常に誰かには不満が残る構造をしている。

 かつて、そのコンペティションの世界であまりに突出した結果、自分vs世界というデュエルへと競技を改変してしまった伝説のスケーターがいたなぁ、などと思う。彼は巨大なファンダムを引き連れて、今日から初のワンマンショーに挑むそうだ。ときに狂気と背中合わせに一対一の勝負に生きる事も、決して解消されない矛盾にさらされながら氷の上に立つ事も、改めて考えてみればどちらも大変に勇敢な行為なのだと思う。どちらがどうとか、誰がどうとかいうことはとても言えない。ただ戦い続ける人たちの健闘を祈る冬の入り口である。