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筋力弱くたどたどしく何もわかってない

観るか観ないか『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』S1E1-E2

 U-NEXTで配信が始まっている『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』を2話まで観た。『ゲーム・オブ・スローンズ』の200年ほど前の世界が舞台で、ドラゴンを操り七王国を統べるターガリエン家のお家騒動が描かれるようだ。王のヴィセーリス・ターガリエンには後を継ぐ男子がおらず、妊娠中の王妃には今度こそはという期待がかけられている。ターガリエン・ファミリーには竜を乗りこなす娘レイニラと御し難い性格の王弟デイモン、そしてかつてヴィセーリスと王位継承権を争った従姉妹のレイニスらがいる。

 『ゲーム・オブ・スローンズ』の第1話で、北の王エダード・スターク自らが罪人に大剣を振り下ろした際の衝撃は忘れられない。その残酷さに戦慄しながら、これはきっと全話見てしまうと確信した。対してこちらの第1話で目を覆うのは、王妃が難産の末に命を落とすシーンだ。これがとても後味が悪くて、もう観るのは止めようかと思った。

 『ゲーム・オブ・スローンズ』のエダードは、逃亡者に酌量の余地があるのを承知しながら、王として全ての矛盾を引き受けて刑を執行する。その衝撃が視聴者を物語に引き込む強烈な原動力となっていた。しかし、こちらの王妃の死のやるせなさはどうだろう。愛する王妃と待望の後継ぎと、どちらかは助かるかも知れないと医者に進言されてヴィセーリス王はある選択をするが、結局は二人とも失ってしまう。元々助からない命ではあったのかも知れない。しかし周囲の声に耳を貸して家族の命を天秤にかけてしまうこの王の優しさと弱さは、やがてもっと大きな災厄を招くことを予感させる。

 王妃の手を握りながら残酷な決断を下す王の酷薄さに対して、王都の守人を任せられている王弟のデイモンは、郎党を率いて罪人を公開処刑する騒動を起こす。その凶暴性を恐れる小評議会によって兄から遠ざけられている憤懣が彼にはあるのだが、それにしてもその命に対する軽さと残虐さもまたエダード・スタークの剣の重さとは対極にある。

 危険な王弟デイモン・ターガリエンを演じるのはマット・スミスで、彼はイギリス王室を描いたドラマ『ザ・クラウン』でエリザベス女王の夫、エディンバラ公にキャスティングされていた。最初はあまり本人には似ていない気がしたのだが、血の気が多く活力を持て余す男が王配という立場に閉じ込められる鬱屈を見事に表現していてハマり役だった。その彼が演じるデイモンも一筋縄ではいかない人物となるのだろう。妃と息子を失ったヴィセーリスの後継者は通例なら弟のデイモンだが、王は彼ではなく娘のレイニアを指名し、兄弟の断絶はいよいよ決定的となる。

 このヴィセーリス王の治世では、彼と王位継承権を争った従姉妹が「戴冠せざりし女王」と呼ばれて公然と王宮を闊歩している。彼女の家庭には世継ぎも育っていて安泰である。もし女王の治世だったらというifがヴィセーリス王には常に重ねられているが、本人にはそれがあまり見えていないようでもある。そして、そもそも彼が年長の従姉妹を差し置いて大評議会から王に選ばれたのは男子だからという一点だったのに、弟を退けて娘を後継者とすることで、自分で自分の根拠を奪ってしまう。戴冠せざりし女王に対してヴィセーリスは存在してはならない王であることが次第に浮き彫りとされるのだ。

 王権に対して危険な存在となったデイモンは、妊娠した愛人との結婚を宣言してレイニアが弟のために選んだドラゴンの卵を盗み出す。彼が求めているのは王位ではなくて兄に認められることなのだが、彼の力は強大すぎて王からは遠ざけられる一方である。姪のレイニラだけはそんな叔父のハッタリを見抜いていてドラゴンを駈って単騎で乗り込み、派遣された王の手一行の前でたやすく卵を取り返してみせる。妊娠も結婚も兄に会いたいデイモンのブラフに過ぎなかった。

 荒ぶるデイモン・ターガリエンは自分を繋ぎ止めてくれる存在を必要としているが、彼を衝き動かすドラゴンの血は凶暴すぎて王はもはや彼を側には置けない。猛獣でありながら飼い主を失った子犬のようでもある彼は、隙あらば愛人のミサリアにペッタリくっついたりしているが、彼女からは「他の子も呼ぼうか?処女もいるよ」などと言われてしまっている。彼に必要なのは真の王なり女王なりにしっかりと手綱を握ってもらうことだ。それが出来るのは同じ血が流れる姪のレイニラしかいないのだろうが、今や彼女とは王位を争う仇同士だ。

 観るか観ないか悩む『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』だが、もう少し観てみようと思ったのは、自分がハッタリの道具にされたことに激怒したミサリアが「求めるのは地位でも権力でも金でもない、恐怖からの解放だ」とはっきりデイモンに宣言した点である。ミサリアに彼の女王となる気はない。解放という、世界を獲ってこいと言われるよりもよほど難しいオーダーを彼女はデイモンに突き付けた。見捨てられた子犬のような彼がその期待に応えて変わっていくのか、それともこのまま暴走して悲劇に突っ込んでいくのかは、気になるところだと思った。原作を追っていないので全然違うかもしれないが、奴隷解放者としてのデナーリス・ターガリエンのルーツがここで描かれるのかも知れない。

 

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全部入りの卵を割り続けて・『1Q84』

 参院選の公示直後、駅前で現首相の応援演説を見かけた。といっても警備が厳重で弁士の姿は全く見えず、候補が元アイドルだから?いやいや現職の総理大臣がいるからか、などと思いながらすぐその場を離れた。ちょっと遠くで背伸びでもしようものならば、SPたちの鋭い視線が痛いほど飛んでくるような張り詰めぶりだったのだ。それからわずか10日あまりのち、遊説先で安倍元総理が銃撃される映像が繰り返しメディアで流れる事態となった。現職への警備の厳しさを目の当たりにしていたから、映像の中のその手薄さには驚いた。国民への人気には自信があっただろう元総理の、物々しくしたくないという意向でもあったのだろうか。

 元総理が暗殺のターゲットとなったのは正直意外だった。社会とのつながりを失って暴発した魂の持ち主が、それでも大義は自分の側にあるのだと主張するときに、むしろすがるように持ち出されるのが彼の名だと感じていた。やまゆり園事件の犯人がそうだったように。逆に元総理を告発する側の人たちは、彼が法で裁かれることを望んでいたのであって、疑惑が解明されないまま凶弾に倒れて欲しくはなかっただろう。そして捕らえられた容疑者の動機については、「特定の宗教団体」という不思議な表現を用いて恐る恐るマスコミの報道が始まった。そのこと自体がこの事件の特異さを示しているようでもあった。

 犯行の動機は「特定の宗教団体」によって家庭を壊された私怨であり、元総理がその団体と深く関わっていることを容疑者が確信したから、というのが報道から伝わってくるストーリーだ。そしてその「特定の宗教団体」が、政治家たちの間に深く根を張っていることがただの妄想とは片付けられない事実として明らかになって、国政は大混乱に陥り、自分もひどくショックを受けた。愕然としながら無性に読み返したくなったのは、村上春樹の『1Q84』(2009)だった。主人公が宗教2世のアサシンという当時は強引にも感じた設定が、刊行から十数年後に現前したのだ。

 

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 1Q84の世界は、ロサンゼルスオリンピックの高らかなファンファーレの代わりに、汎スラブ主義の作曲家ヤナーチェクシンフォニエッタで幕を開ける。改めて読み返してみて、世界が詰まった卵を内側からひたすら割り続けているような眩暈を覚えた。

 ヒロインの青豆は新興宗教の信者家庭出身だが、自分の意思で宗教との繋がりを絶ち、家族を捨てて生きている。スポーツ奨学生として身を立ててきた彼女は、元チームメイトの死をきっかけに、家庭内暴力の加害者である男たちをターゲットとする暗殺者となった。その青豆を見込んで仕事を依頼してくるのは「柳屋敷」に住む資産家の老婦人であり、彼女もかつて自分の娘を配偶者の暴力によって失った過去がある。DV被害者を保護する活動をしている老婦人は、やがて幼い少女たちに性的虐待を繰り返す宗教団体の教祖の存在を知り、その暗殺を青豆に依頼する。

 政財界に顔が利きつつ、資金を惜しまず青豆の仕事をバックアップする老婦人の存在というのはいささか都合が良過ぎるように思えるし、女を殴る男たちへの怒りには共感するものの、それが母親をカルトに取り込まれた容疑者の殺意と直接繋がるようには思えない。しかし「柳屋敷」に住む老婦人が『羊をめぐる冒険』(1982)の中で死にかけていた右翼の大物フィクサーの裏返しの姿なのではないかと思い当たると、にわかに生々しさは増す。

 糸杉が植えられた道の果てに屋敷を構える「先生」と呼ばれるその人物は、戦後の日本の政財界を陰ながら支配するネットワークを作り上げ、人知れずその中央で君臨してきた。『羊をめぐる冒険』の主人公は、死の床にある「先生」の元から消えた特別な羊を追うようにと、その側近から命じられる。羊は「先生」の意思の原型のようなものであるらしい。元A級戦犯である「先生」のモデルとなった人物は複数存在するのだろうが、例えば岸信介を祖父に持つ元総理のルーツも、「先生」の存在とはかなり近かったのではないだろうか。

 

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 「先生」が戦後の日本を動かすシステムそのものであったなら、その裏返しである「柳屋敷」の老婦人は、そのシステムが虐げてきたものの守護者だ。密室で殴られる女たちを救済してきたその彼女が、1Q84の世界で最終的な敵と見なすのは、信者の少女たちの生殖能力を奪うほどにレイプし続けているという、農業コミュニティから派生した新興宗教「さきがけ」の教祖である。

 暗殺のために教祖の元に送り込まれた青豆は、老婦人の話とはまた異なる彼の姿を知ることとなり、物語は更に複雑にねじれていく。ただここで言えることは、「先生」を中心としたシステムが犠牲にしてきたのは、家庭という密室で殴られ続けてきた女たちのような存在であり、老婦人の世界では、それは最終的に絶対者から幼女への性的虐待として現れている。そして青豆が対峙した教祖自身は、麻痺した彼にまたがりにくる巫女たちを拒むことが出来ず、死を望むほどの激痛に苦しんでいる。

 戦後の日本を動かすシステムのために払われてきた犠牲は、ついには「先生」や「さきがけ」の教祖自身の命を食い尽くすまでに至っている。というよりは、そもそものシステムがそういう設計でインストールされているものなのだろう。そして、彼らの安らかな死を許さずに瀕死の心臓を動かし続けることを至上命題とする者たちが、禁断の劇薬=家庭の不幸を拡大再生産するカルトとまで手を組むことを躊躇わなくなっている現状が、今回の銃撃事件の背景にはあった。何しろ投票率の低いこの国では、票を確保してくれる団体への便宜を図りさえすれば、未だ「先生」の遺産に与ることが出来ると見なされているらしいから。

 国を挙げての葬儀イベントという要素まではさすがに『1Q84』の中にもなかっただろうと思いながら読み返していたが、もう一人の主人公である天吾が、ずっと疎遠だった父親を見送る場面に行き当たった。

 「お父様はご生前、できるだけ飾り気のないご葬儀を望んでおられました。用の足りる簡素な棺に入れて、ただそのまま火葬に付してもらいたい。祭壇やらセレモニーやらお経やら戒名やらお花やらあいさつやら、そんなものは一切省いてくれとおっしゃっておられました。墓も要らない。遺骨はこのあたりの適当な共同の施設に納めてもらいたいと。ですから、もしご子息様にご異存がなければ・・・」

 彼はそこで言葉を切って、大きな黒い目で訴えかけるように天吾の顔を見た。

 「父がもしそれを望んでいたのであれば、こちらとしては異存はありません」と天吾はその目をまっすぐ見ながら言った。

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 大金を費やす国葬に対して質素に徹する天吾の父親の態度は素晴らしいとか、別にそういうことではない。天吾はNHK集金人としての父の生き方が理解出来ずに、ずっと隔たりをとって暮らしてきた。外見も考え方もあまりに違う父との血縁を疑ってさえいた。弁護士から遺品を渡された天吾は、父が生前「法定相続人」という言葉のみを使い、「息子」や「天吾」とは一度も発しなかったことを知る。自分は法律上確かに父の実子であり、出奔を疑っていた母も戸籍上は若くして亡くなっていることを確認するが、その上でやはり自分は「何者でもない」と思う。たった一枚残されていた家族写真の中の父は、疑り深そうな目をして写っている。『1Q84』の中に描かれていたのは、「家族」を信じられず「法」だけで繋がっていた男の葬儀だ。逆に今、法的根拠のない国葬で送られようとしている人物にとっては、法など意味をなさずに自分のファミリーが全てだったのだろうかと思い当たり、空恐ろしい気持ちにもなる。

 「法定相続人」として戸籍上の父を見送った天吾は、巡り会えるはずのなかった青豆との再会を果たし、二人は新しい家族として1Q84の世界から脱出する。青豆は20年間一度も会っていない天吾の子を妊娠している。二人がたどり着いた新しい世界にどんな矛盾や不条理が隠されていようとも、踏みとどまってそこで天吾と子どもと生きていくのだと青豆は決意している。天吾の眼差しは彼女と生まれてくる子どもをただ肯定している。

 天吾の母親の真実については、探偵役の牛河だけが知っていたものの、彼はそれを誰にも告げずにこの世を去った。母親の縊死と『羊をめぐる冒険』での鼠の自殺は対応しているようにも思える。鼠が自分と共に葬ったはずの羊は、1Q84の世界ではどこへ消えたのだろう。それを考え出すと『1Q84』がまた全く別の物語になってしまいそうだ。今はただ、押し付けられた家庭像から自由になって新しい家族の姿を受け入れる勇気を持つときなのだ。天吾のように目を覚まして。法は守って。

 

この苦い土にわずかな希望を

 猫は飼い主が真剣であればあるほど、譲れない使命のように邪魔をしたがる。大切なweb会議に限って天袋からパソコンにダイブしてくるし、締め切りが迫っている時程どうしても一緒に昼寝しなければならないと訴えてくるし、テストの前日には頑としてノートと教科書の上から動かなくなる。構われたくない時は気配を消して勝手に寝ているくせに、飼い主が他のことに気をとられると、驚くほど敏感に察してくる。

 去年自分が一番猫たちに邪魔されたのは、間違いなく宇野昌磨の『オーボエ協奏曲』を観ようとする時だった(羽生選手の時にはあらかじめ猫たちを部屋から締め出していたので、その比較は出来ない)。それはもう必死に割り込んでくるので、『オーボエ』の時にはいつも画面の半分くらい猫に隠されていた。宇野選手だけを贔屓にしているつもりはなかったのに、どうしても妨害すべき何かがあったらしい。先日、録画したファンタジー・オン・アイスを観ようとしたら、また彼らが心配して押し寄せてきて、あの時のおかしな攻防戦を思い出した。

 自分が『オーボエ協奏曲』に引き寄せられたのは、マルチェッロのオーボエ協奏曲とヴィヴァルディのチェロ協奏曲が違和感なく繋がるという構成の妙だったと思う。マルチェッロはいっとき歴史に埋もれていた作曲家で、このオーボエコンチェルトもヴィヴァルディの作だと考えられていた事があったらしい。その二人の曲を合わせ鏡のように配置して、その間に宇野昌磨の演技が浮かび上がるという構成に、覗き込まずにはいられないような不思議な吸引力を感じた。振り付けは宮本賢二さんで、選曲はステファン・ランビエールコーチだったのかなと思う(違っていたらごめんなさい)。宇野自身は曲選びに関知せず演者に徹するというスタイルも、このプログラムには合っていた。

 ファンタジー・オン・アイスは羽生結弦とレジェンド級のベテランが中心のショーで、宇野昌磨は出演していない。心配する猫たちを慰めながら途切れ途切れに眺めていたのだが、ここのところ密かに心に留めていた曲をそのステファンコーチが自身の演技に使っていたので驚いてしまった。後半のプログラム、マックス・リヒター版の『This Bitter Earth』だ。自然とのバランスを考え直すことがテーマだと幕間に語っている。

 この曲は、リヒターが自身の楽曲『On the Nature of Daylight』にダイナ・ワシントンの1960年のヴォーカル『This Bitter Earth』を合成して作られたものだそうだ。そういう技法があることも知らなかったが、時と場所の異なる二曲がピッタリ重なって謎の奥行きが生まれるところに心惹かれる。『On the Nature of Daylight』が映画『メッセージ』に使われていた関連で知って、ずっと心に残っていた。

 認識アプリによれば、使われているのはリヒターのオリジナル版ではなく、コロナ禍の外出自粛期間中に在宅コンサートとして配信されたダニエル・ホープのライブ版であるようだ。元のブルースは恋の歌のように甘く響く曲だった。リヒターはそこから取り出した声に無限のループを加えてある種敬虔なトーンを引き出す。更に、コロナ禍のよるべない日々に聴衆が心を寄せただろうバージョンを、恐らくわざとステファン・ランビエールは選んでいる。

 

この苦い大地に

どんな果実が実るというの

 

そして 私の人生が

バラの輝きを覆い隠す

土ぼこりみたいなものだったとして

一体どうしたらいいの

誰も知りはしないのに

 

ええ、わかっている

この苦い大地が

時にとても残酷であることは

今日 若いあなたが

老いるのは あまりに早い

 

でも 心の内で嘆く時

確かに誰かが

応えてくれるんじゃないかと思ってしまう

 

そして 全てが過ぎ去った後には

この苦い大地は もしかして

そこまで苦くはないんじゃないかと

思ってしまうの

 

この苦い大地で

愛の意味とは何だろう

 

 原曲には、この後"that no one shares?"というフレーズがあって、本来は「誰とも分かち合えない愛に どんな意味があるの」などと訳せるかと思う。しかしステファン先生はただ愛の意味を問う"What good is love"という言葉で演技を終える。「誰とも分かち合えない愛」という詞の苦さも私は気に入っているけれど、その手前で曲を終えることで「愛は分かち合えなくはない」という希望をそっと残したのではないだろうか。

 ステファン先生の曲選びについては、ヨーロッパ選手権で一番弟子のデニスくんがブロンズを獲った時に感心して長文を書きかけたことがあったのだが、にわかには手に余ることを悟って放置してしまっている。あの時のデニス・ヴァシリエフスの演技には感激したので、いつか素人の妄言として許される範囲で供養したいと思っている。

 

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